山形県高畠町有機農業提携センター

1973年(S48)、高畠町では機械化と化学農薬、肥料の投与による農業近代化に疑問を抱いた星寛治さんを含む農家青年38人が有機農業運動を始めました。

近代工業化・経済成長を一辺倒で突き進んだ日本社会に、すさまじい公害被害が全国で吹き荒れていた当時、大反響を呼んだ作家有吉佐和子さんのルポルタージュ風小説「複合汚染」(1974年朝日新聞朝刊連載)の最初の取材現場が高畠和田地区でした。同小説の中で「ミミズの話」として登場しています。都会の消費者は安全・安心な農産物を求め、高畠の有機農業運動に呼応し、共同購入により、自治の精神に基づく生産者と消費者の「高畠町有機農業研究会」(「有機研」)をスタートさせました。以来、生活者の方々と顔が見える提携を軸に、天の恵みを受けながら有機農業に取り組んできました。その後、有機研については、米作りにおいて一定の力量を付けたこともあり、発展的解散を行い、グループを組む人、個人で取り組む人などに分かれました。

当有機提携センターは、その原点である「無農薬自然乾燥一本」で米づくりを行っています。さらに、りんご・ぶどう・野菜など消費者との提携を基本に、お米以外の作物も手がけてきました。毎年2月に春からの新年度の作物づくりの方向性などを生活者の方々と話し合い、検討する「作付け会議」(於、東京農業大学)を開催し、相互交流を持ちながら、安心・安全な食の提供を目指しています。また、高畠での現地交流会も開催し、私たちの農業の現場での作業やまほろばの地、高畠の環境を見てもらい、相互理解を深めています。

一方、2014年には毎日新聞本社「MOTTAINAI STATIONN」で、「東京・高畠ー青鬼サロン」(青鬼クラブ主催)を開催。「青鬼サロン」は、19年間の交流をもつ早稲田環境塾長・原剛さんを中心に、早稲田環境塾塾生有志と「たかはた共生塾」が話し合いを重ね、その後「たかはた共生プロジェクト」(早稲田大学早稲田環境学研究所)での活動を通じ発足。生産者と消費者が米を中心にした農産物や農業体験を通じて、互いの生活を支えあう公器の場を目指しています。昨今の農業を取り囲む社会環境の変革に中で、私ども「有機研」も新たなステージを模索しています。

今後とも、当センターとの連携のご協力とご理解を賜りますよう宜しくお願い申しあげます。

有機農業提携センター
所 長  本田 哲雄

                                <園地巡回>
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                             <若き後継者>                               <女性部食事会>
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【自然の恵み・お取り扱いの農作物】

・お米 ・米 堆肥を基本に有機質肥料を追肥無農薬無化学肥料で杭架け自然乾燥(天日干し)

・野菜 完全無農薬無化学肥料栽培

・葡萄・林檎 有機質肥料施用木酢液キトサンを中心に少農薬栽培

一つ一つ袋がけによる少農薬栽培

・ラ・フランス 有機質肥料を施用し、農薬散布回数を削減し有袋栽培

・リンゴジュース 規格から漏れたものを中心に添加物なしの委託加工ジュース

農産物 生産者 住所(山形県東置賜郡)

米・林檎・葡萄

中川 信行

高畠町飯ノ森808

米・野菜

渡部 務

高畠町蛇口314

米・林檎

星 航希

高畠町元和田2544

米・葡萄

河合 三夫

高畠町竹森722

米・ラフランス

猪野 惣一

高畠町飯ノ森812

米・ラフランス

本田 哲雄

高畠町高畠823

米・野菜

皆川 直之

高畠町下和田2101

米・林檎・葡萄

高橋 稔

高畠町上和田1680

今、日本の食を見直す転換期となっています。 遺伝子組み替え、農薬、自給率、産地偽装、輸入作物の増加・・・ まほろばの里では、当有機農業提携センターの生産者が消費者の立場になり、 安全な安心な素材(食べ物)作りを行っています。 フランスでは料理人は「命をつくる人」として、お医者さん以上に社会的にも認知されています。 その素材を提供する農業は自然と共にある産業(むすびわざ)です。 自然を損ねることなく自然の恵み・力を最大限に活用する 「環境保全型農業」で持続性の高い栽培を目指しています。 毎朝、畑で収穫した作物がお膳に並ぶ ごく当り前の生活が日本の多くの家庭で営まれていました。 そんな生活に少しでも近づきたい。 有機研メンバー一同、心より皆さまのご参加をお待ちしております。 農家・生活者の皆さんともに提携の環を拡げています。


<年度作付け会議(於・東京農業大学)・現地交流会>

2024年2月17日開催(於東京農業大学)


3年連続の中止から2023年2月25日開催(於東京農業大学) 2020年・2021年度・2022年度は中止 ※作付会議を、新型コロナウイルス(COVID-19)の問題で中止。

2019.9.7〜9.8 現地交流会

提携センター現地交流会は15名の方をお迎えして予定通り行われました。農家の方々が春から手塩にかけた、田んぼ・果物・野菜等々作柄を説明しながら巡回しました。

皆さんに「農作物が届くのが楽しみ」という言葉をいただき、これから本格的になる収穫作業に力が入ります。 夜は女性部の料理をいただき、懇親会が盛り上がりました。翌日は日本大学の根本先生を囲んで「提携運動45年」と題して座談会が行われました。「顔の見える関係とは」消費者の立場、生産者の立場から それぞれ発足当時からの苦労話、いろんな思いを厚く語っていただきました。

2019.2.24 作付会議


2018.9.8〜9.9 現地交流会

2018.2.24 作付会議


2017.9.9 現地交流会


2017.2.25 作付会議



星寛治さん逝く

1973年(昭和48年)、若手農家らと「高畠町有機農業研究会」を設立した恩師が2023年(令和5年)師走に旅立たれた。 高畠町和田で農家の長男として生まれ、米沢興譲館高校を卒業後、家庭の事情もあり進学を諦め1954年(昭和29年)農家を継ぐ。 高度経済成長時代の下、農薬と化学肥料で収量は増す中、体調不良や田から生き物が消えるのを目の当たりにするなど疑問を抱く。 有機農法に舵をきった先駆者・イノベーターの一人。  1990年(平成2年)「たかはた共生塾」を設立。 大学生や社会人ら若者らを対象にした「援農」を通じて農業体験などを通じ都会と農村との交流と提携、人材育成を進めた。 また、地元の学校給食では地域食材を使った「地産地消」に積極的に取り組みながら、著書を出版し「農民詩人」と呼ばれる。 その意思は私たちと共に孫の航希くんが継ぐ。 星 寛治 (ほし かんじ) 1935年(昭和10年)山形県高畠町生まれ。農民・詩人。東京農大客員教授。 1975年町教育委員に就任、1983年より1999年まで委員長を務める。 詩集『滅びない土』エッセイ『農からの発想』『有機農業の力』『かがやけ、野のいのち』など著書。 星寛治さんを偲ぶ会(2024年2月17日 於東京農業大学) 消費者、大学教授、作家など60名程の方々が集い、 有機農業を立上げ、体現したその功績や思い出話などを通じて故人を偲びました。 限られた開催時間の中、なごりおしく閉会となりました。  
いのち耕す人々 2006年 / カラー / 100分 助成 文化庁 支援 「いのち耕す人々」制作上映支援会 協力 NHK 他 監督:原村政樹 撮影:藤江潔 木村光男 藤井敏貴 編集:四宮鉄男 解説:山本學 詩朗読:湯浅真由美 音楽:徳永由紀子  1973年、山形県高畠町の農業青年38名が近代化農業の矛盾を問い「高畠町有機農業研究会」を設立、有機農業に取り組んだ。 昔の重労働に戻るような有機農業は、周囲からも家族からも理解されず、変わり者扱いされる。 農薬の空中散布をめぐり、苦境に立たされ次第に地域から孤立していく彼らを支えたのが、 「顔の見える関係」で結ばれた都市の消費者との交流であった。 2006.6.10 大阪国際交流センター 200名収容の会場、立見も出る程、超満員でした。 「生協連合会きらり」様から当センター4名の招待を受けました。 原村政樹監督も出席しました。

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度「地方から見た戦後]

<NHK ETV特集 戦後史証言>

2013年9月7日 「高畠有機農業のけん引役 近代農法脱却までの道のり」

有機農業によって自然環境や市場原理などの市場環境の変化に対峙しながら、如何にして普遍的な消費者、生活者との信頼を築き上げてきたか。顔が見える関係を越えた誠の提携関係について語っている。福島原発事故では、風評被害などから無警告馘首とは云わないまでも去っていた提携先もいた。元々、安全、安心にとても敏感な消費者であることから、仕方のない面は理解できたものの、とても残念なことだった。正直、我々、生産者にとってその提携の誠からして大きな精神的なダメージとなった。そして、今、新たなグルーバル化の潮流の中で、安全、安心を軸に、新たな若手後継者も加わり、これを乗り越えるための新たな格闘に向かっている。

2014年1月25日 第8回「山形・高畠 日本一の米作りをめざして」

有機農業の米作りを中心に独自の道を歩んできた山形県高畠町。戦後の歩みは、猫の目のように変わる農政のなかで農家が自立を模索し続けた歴史だった。敗戦後の希望に燃えた米増産時代から急転回の「減反」。農業の近代化に伴う「機械貧乏」や「出稼ぎ」。時代の荒波を乗り越えようと、高畠の青年たちは国が推進する規模拡大の道ではなく、有機農業へと進んだ。その活動は有吉佐和子の「複合汚染」で紹介され、安全な食を求める都会の消費者たちとの産直提携が誕生した。しかし、高畠でも農家の高齢化や兼業化が進み、多くの農家は農薬や化学肥料に頼り、農薬の空中散布が広がっていく。健康被害が明らかになる中、1986年、その是非を巡って、町を二分する激論が行われた。その後、町は、空中散布の中止へと舵を切る。そして日本一おいしい米作りをめざしていく。いま、TPP参加へと向かう中、高畠町でも急速に兼業農家の離農が進み、地域農業崩壊への不安が広がっている。そんな中、専業農家が力をあわせ、離農する農家の田圃を代わりに耕して、地域の農業を守ろうという新たな動きも生まれている。時代の激流のなかで、安全でおいしい米作りをめざし格闘してきた高畠の今をみつめる。

山形高畠町上和田 藤助